負け人の遠吠え  〜2025
 
240824 最近見たテレビ報道から

「(以前の台風で)2週間にわたり最大90万件が停電した」と、コメントでもテロップでも伝えられる場面があった。パッと見パッと聴きでは「90万件もの停電が2週間も続いたんだ」っと思ってしまいそうだが、実際は「90万件もの停電被害が発生し、一部では2週間も長引いた」と言うのが真実だったはず。
過去の事実を例に現状の危険性を訴えるのは防災面の教訓として必要だが、事の正確性より事実誤認させようとしてるかのような言い回しが信用問題に関わるとは思わないのだろうか? 速報であれば多少の間違いもやむ無しと理解できるが、この場合検証済みであろう過去の出来事である。

曖昧表現や言い回しの複雑な日本語は我々日本人からしても解釈の違いとか難しい場面が多々あり、何はともあれ目を引いたもの勝ちとなりやすい。上述報道ならそれは「90万件」「2週間」という数値が頭に残るのだが、表現のまずさはあってもその数値自身は事実には違いないのだろう。一応マスコミにはそれなりの報道意識もあるのだろうしその意味ではマシな方。

これがネット上ともなると、いわゆるエセ表題や内容とは無関係な衝撃画像/なんちゃって画像の類いが乱舞することとなる。仰々しい表題付き記事ほど中身は大したことない。大したことない内容だからそのような表題や画像付きで目立たせると言うことだ。パッと見画像で「えっ?こんなことあるのか?」と思ったらもうその類いでほぼ間違いない。「再生回数 = 金」と直結するからまあ仕方ないな。

ネット慣れした人ならその種の類いはすぐ分かるものだけど、慣れてない人はくれぐれも鵜呑みにしないように!
 
 
240805 地名と呼び

全国的にどうなのかは知らないが群馬県の自治体町村は筆者が知る限り、その呼び(読み)はすべて「○○まち」「○○むら」である。しかし東京制作局であるテレビもラジオも多くが「○○ちょう」「○○そん」呼びをしており、おそらく全国規模では両方の呼びが存在してるのだろうが同じ関東だったらいい加減気づけよ!
アナウンサーやナレーションで「ちょう・そん」呼びしてほとんどの場合訂正もないと言うことは、番組の特にニュース番組なら報道局やプロデューサーは恥ずかしいと思え! スタッフみんなが東京出身でも無いだろうにどうして違和感持たないんだ?

おそらく都内自治体の区・市で、更に細分化した地区名となる「有楽町」「歌舞伎町」ら多くが「ちょう」読みだから、そう呼ぶことが当たり前になってるんだろうなとは想像できる。それでも御徒町(おかちまち)等の例外だって少なくはなさそうだし、自治体呼びでも「奥多摩町」を「おくたまちょう」と呼んでるの聞いたことは無い。都内だったら「まち」呼びだって分かってんじゃん!
けっきょくは気に掛けてないのか?知らないのか?と言うことなのだろう。

加えて地方自治体市町村内の「○○町」に複数の読み方があるのもややこしいところ。たとえば「本町」と書いて「もとまち」「ほんちょう」両方があり、「○○もとちょう」「○○ほんまち」なんて呼びもありそうではある。
「町内・村内」は「ちょうない・そんない」と音読みが普通だろうが、「まちうち・むらうち」なんて訓読みもあり、外国人が日本語難しいと思うのはこういうところ。いずれにしろやむ無しところもあるとは言え、誤って呼ばれた地区の住人が「違うわ!!」と思うことがあるのは間違いない。

そこで地理院地図だが、現在でも難読地名に「かな」がふってあることは理解している。しかし圧倒的に少なすぎるのだ。もちろんすべてになんて事は言わないが、難読に加え間違って読みやすい地名には「かな」を付けてほしい。この種の地図を外国人が見るかどうか知らないが、道路標識のようなローマ字表記でもいいだろう。ツーリングとか出掛けたおり、漢字では読めなくてローマ字表記からそう読むんだと思ったことは筆者にも良くある。
関西で言えば大阪の四條畷市はかなが振ってあるから読めるけど、枚方市なんて関東人の半分は読めないんじゃないかと思われる。茨木市だって関東に茨城県があるから想像できそうだけど、案外「ばらきし」とか思ってる人は多そう。当地甘楽(かんら)も知らなければ「かんらく」と読む人が多い。
大縮尺時は現行でいいとして、10m等高線が現れるくらいの小縮尺となったらの話しでかまわない。子供の頃から慣れ親しんでるだろう地元民には何でもなくても、他所からすれば読めない地名はそれこそ各地に散らばってそう。

間違いやすいかどうかは各々微妙なところもあるだろうが当地直近の一例を示しておこう。西上州の「南牧村」とすぐ近くの八ヶ岳東面長野県南佐久郡の「南牧村」である。前者は「なんもくむら」後者は「みなみまきむら」である。最近何の番組だったか、西上州の南牧村を「みなみまきそん」と呼んでたなあ。ひっくり返りそうだったぞ。
一見さほど難しくなさそうでも、「えっ?そう読むの?」って地名は各地にあるのだ。北海道や沖縄なんて上げたらキリがなさそうにも思えるがそこはほら、たぶんすべての地図基だろう国土地理院なんだからみんな分かってるんでしょ。
ねぇ、筆者ら下々の者にも教えてよ!
 
 
240727 レディーファースト

レディーファーストって女性に対する男の礼儀や優しさの表れとして喜ぶ人多いよね。

でも元々の始まりは中世王侯貴族らの権力者が向こう側が見えないドアを出入りする際、もしドア先で暴漢に襲われたら最悪命を落としかねない、などと懸念しその対策としての手段となっていたこと。要はドア向こうが安全か確かめる意味でお付きの女性を先に出入りさせたというのが始まりと言われている。そこで腕力的に優れるだろう男の侍従ではなく女性を選んだというのがそもそもここでの問題の訳で、毒味役と同じく「女の命くらいどうでもいいから先に行かせておけ」って、もろにそういうことなんだよね。

時代が違うし現代では「女性を先に」という恰好だけ残ってる事とは言え、歴史上暗黒時代とも言われる中世ヨーロッパではいわゆる「魔女狩」や「生け贄」等、主に女性を対象としたこの種の身代わり例が実に多い。そういうルーツや背景が分かっても喜べるの? それこそ某ヒット曲なみに「馬鹿にしないでよ!」と怒っていい事案なのにまったく暢気なことで?! だから「女は表面的な事にとらわれ本質を・・・・」って言う、筆者を含む中高年男の理由付けにもされてるのを自覚した方がいいんじゃない?!
 
 
240225 近未来都市交通の嘘

現在の道路を走る車かのように、都市のビル街を無数の小型航空機が飛びかってる未来社会。SFでもアニメでもほぼ必ず出てくる近未来都市予想の一つですよね。実際最近は車に翼を付けたような小型機や、単座あるいは2人乗りくらいまでの超小型機とか開発ニュースを見かけることもあります。
でも筆者は断言します。
あのような小型機がビル街の空路をひらりひらりと自由に飛び交う未来はきません。
某映画のように地上数10cmの高さを飛行する機体が、交通手段(遊具は除く)として自転車やバイクに変わって現れることもありません。
空中に道路があるかのように航空路が三次元的、且つ信号付きで整備される事もありません。
みんなさー、摩擦とか重力(遠心力や慣性力含む)とか分かってんの?って話。

車は路面にゴムタイヤが接触し大きな摩擦抵抗を得られるから急加速できるし、ちゃんと曲がれるし、しっかり止まれます。
鉄道の多くはレール対車輪が鉄どうしで摩擦抵抗はそこまで大きくないけど、その分重量が車より桁違いに重いため距離は長くなってもちゃんと加速できるし止まれます。
船は大きくなるほど慣性も大きく止まりづらくなるけど、元々スピードが遅く水の抵抗もそこそこ大きいためこちらもちゃんと曲がれるし止まることができます。
しかし空気が相手となる航空機では機体の大小に関係なく、それらの抵抗は桁違いに小さく空中での急旋回や急制動はできません。そりゃ個体・液体・気体の密度差を考えても感覚的に分かるでしょう。ある程度重量ある飛行体では空気中における方向転換や停止は容易ではないのです。それはホバリングできるヘリコプターやドローンでも他の乗り物と比較し基本的に同じです。

元々航空機は空気中で揚力を効率よく得るため、基本的に高速飛行することが必要不可欠な乗り物です。比較的低速で乗員1〜2人なら何とかなってもグライダーのような馬鹿でかい翼が必要となり、それで都市交通の一翼をなんて到底不可能です。そもそも存在意義的により早い移動手段として、他の交通手段を凌駕しなければなりません。結果、揚力とスピードのバランスの中で出来る限り抵抗を小さく、且つ多くの乗客を乗せられなければ旅客輸送としての実用性はないでしょう。その抵抗が小さいと言うことこそ飛行中の向きを変えづらいと言う理由でもあり、一瞬で自らの向きや羽ばたきを変えられるトンボやツバメのような飛び方はできないのです。
掌に載るような超小型ドローンとかならそれなりに自由がききホバリングもできますが、人が乗るほどの重量と大きさになればとてもそうはいきません。戦闘機とかスッと機体を傾け一見急旋回できるようにも見えますが、その旋回軌跡はとても大きな弧を描いています。それはホバリングできる機種も上述通り人が乗るほどの大きさになれば同じなのです。

更に決定的なのは超小型ドローンと同等の運動能力で急旋回や急制動できるようになったとしても、乗ってる人はとてもその重力変化に耐えられません。その運動性は人が耐えうる肉体的限度を遙かに超えてると言うことです。もちろん機体強度は当たり前に耐えるとして、操縦しているあるいは乗り込んでいる乗員乗客が気絶せず普通に耐えられる範囲であること。換言すればそれは現在の車なみまでが限度で、それ以上の運動性を発揮することは人が乗る前提では意味がないってことです。控えめに言っても世の中の90%以上の人は現代のF1やエアレースの重力変化にさえ耐えられないでしょう。未来の乗り物であれば当然今以上の安全性や快適性も求められる訳で、それこそスポーツとしてのみ成立する重力変化を一般人が体感しても不快な生理反応が出るだけです。

けっきょく航空路がいくら三次元的に整備されたとしても、それは離れた都市間を結ぶ直線路が基本です。都市空間のビル街を先の未来予想図のように無数の小型機が高速急旋回しつつ飛び回るなんて、人の肉体的限度を超えてるばかりか余りに危険すぎてあり得ません。ドローンとかでスピードをある程度抑えても、外観的見栄えからもガードを付けにくいだろうビルに空中から突っ込まれたらどうなりますか? 仮にそれらの対策を施したビルが出来たとして、そんな建造物やガードが一夜にして出来る訳じゃありませんよね。当然破損した双方の残骸だって落下する訳だし。
更に透明なパイプ状構造物内を移動する乗り物とかも良く描かれますが、エレベーターのように直線移動はできてもルート中に曲率があればスピードには自ずと限度が生じます。パイプ内だからってヒュンヒュン猛スピードで移動できる訳じゃ無いんです。
それらを理解してないのがあの種の物語や近未来想像図であり、言葉悪いけど嘘と勘違いと創作の極みです。現実にはあり得ない世界なんです。
遠い未来、重力や遠心力、慣性力等のコントロールがすべて人類の手中となり初めて現実化する世界であり、それは近未来話として治まりきる年数では到底迎えられないでしょう。
 
 
240217 田舎人の独り言

同じ関東でありながらこちら田舎の住人からの話。

東京(23区内)は冬季氷点下になることなんて精々数回程度なのに、寒い寒いと煽るマスコミにどこぞの冬服メーカーが金廻してるんだ?っと勘ぐりたくなるのは筆者だけか?

NHKを含む東京キー局での話しだから一応関東圏内に限定するとして、群馬県の当地では冬の最低気温なんて氷点下が当たり前。マイナス二桁まで下がることは多くて5回くらいまでだが、−5℃前後までなら普通に続くし経験する。晴れた昼間の最高気温だって一桁半ばまでが当たり前。ところがまったく氷点下にもなってない11月頃から東京で町ゆく人は、羽毛やファーのジャケットをモコモコにまとった人でいっぱい。いったい東京人てどこまで寒がりなんだ?

古い作りの当家には今では懐かしい縁側があり、よく晴れた冬季など陽が低い分逆によく差し込み普通に25℃以上となる。冬服では暖かいと言うより暑いと表現するレベル。しかしその縁側も全面ガラス戸のせいか北側の部屋と共に早朝では一転して冷え込み厳しく、室内でありながら氷点下となることも稀では無い。11月下旬から12月頃、まだ大丈夫だろうと置きっぱなしだった観葉植物をこのヒートショックによりうっかり枯らしてしまったことも何度かある。もちろんそんな冬季、人がいる部屋ではエアコン、ファンヒーターやこたつ等の使用が欠かせないのは当たり前。それでも前者16℃、後者12〜14℃と設定できる最低温度で使用しているが、オーバーシュートもあり冬服着てるんだからほとんど問題となることはない。

東京で言う寒さ、こちらで言えば暖かさのレベルで、あそこまで冬服パンパンに着るか?と言うのが正直な感想。あれって寒さ対策と言うよりファッションなんだろうなと勝手に思ってる。みんなが着てるから私もと言う、仲間はずれを極端に怖がる心理なんだろうね、っと解釈。言っちゃ悪いが特に女性ははやりのファッション優先なんだろう。

国や都がどう言おうが省エネキャンペーンしようが、震災時の計画停電も知らない東京人の多くは冷房も暖房も25℃設定がマストなんだろう。実際うちの複数の親戚だってそうだ。盆も正月も暑い寒いと部屋に入った途端リモコンを探し回るのがいつものこと。だから夏より冬の方が内・外の温度差が大きくあのような厚着になるんだ。
田舎人はそう理解している。
 
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