Web Master Profile

天野若男(♂)
昭和中頃生まれ
群馬県甘楽郡甘楽町在住
幼少の頃よりアウトドア好き。
もちろん当時そんな言葉は無かった(知らなかった)が、顔を上げれば目の前には山が迫っていた。
海無し県の群馬は昔も今も、自然と言えばそれは山か川を指している。
小学生の頃、近くのガキども、いやお子様!を引き連れて山に入り、暗くなる頃帰ったらみんな大騒ぎしてたっけ。
しかし、そんなことで懲りるσ(^^)ではなかった。
その頃経験した山への興味は年月を経ても変わることなく、その指向はやがて岩へ向くこととなる。
何しろ高いとこ大好き!つまりお馬鹿さん?!
後に残置ハーケンやボルトにアブミを引っかけ、確保もなく登るという空恐ろしい単独登攀を平気で実践していた。
ホントにお馬鹿!
今思えば真っ青・・・・よく命があったものだ。
小学3〜4年生の頃、当時600円くらいのトイカメラを手に入れた。
当時の600円は子供にとって大金である。
学校の旅行や遠足の副食が150円までという時代。
マーブルチョコが30円だった。
小遣いでも貯めたのかとは思うが、どういう経緯で手にしたか詳しい記憶はない。
確かなのは自分1人で5kmも離れた模型店に(たぶんチャリで)行って、事前に目を付けていた一番安い機種を選んで買ったこと。
このカメラ、名前こそトイ(玩具)なのだが、いっちょ前に自分でフィルムを装填して撮すマニュアルカメラである。
言っちゃ悪いが今のレンズ付きフィルムとは格が違うのだ。
残念ながらカメラの行方は知れなくなってしまったが、当時のフィルムは残っている。
してみるとσ(^^)の写真歴もおよそ・・・・?
我ながらびっくり!!
中一の頃、なぜかクラシック音楽に目覚める。
きっかけは音楽の授業で聴いたビゼーの「アルルの女」。
現在ではあまりこの種の曲は聴かなくなったが、初めて買ったレコードはめでたくカラヤン=ベルリン・フィルのこの曲となった。
その後あらゆる音楽に触手を延ばし、聴いたジャンルそのすべてがお気に入りとなってしまう。
制作者側にとってまことに都合のいい人間になってしまった。
っであれば当然の如く、高校生頃よりオーディオに目覚める。
元々小学生の頃より電子工作に勤しんでいて、今で言うAV(当時はAだけだが)にはソフトもハードもすこぶる興味があった。
そんな生来の探求心旺盛な技術的興味も手伝って、これまた当然の如くオーディオ三昧は次第にエスカレート。
当時は家具調のセパレートステレオからシスコンに変わろうという過渡期で、単品コンポもようやく一般化し始めた時期。
やがて秋葉原に通うようになるともう止まらない。
管球アンプのキットや海外有名メーカーに手を出すようになるまで、大した時間は掛からなかった。
一音にこだわるマニアではないが、自分にとってより良い再生音楽を求めた結果は現在に至っている。
もっともその現在、電気を使わない省エネ音楽再生に先祖返り。
技術者の端くれとして先人の知恵に脱帽しながら、このところ機械式再生に励んでいる。
高校生と言えば免許の取れる年齢でもある。
ご多分に漏れずまずはバイク、続いて車。
ここでも旺盛な探求心が生来の放浪癖とも合わさって、やがて林道ツーリング、中部、東北、関西、四国、北海道など、次々と足を延ばしていく。
すべてソロツーリングだったが何より怖いのは人間だと思ってるから、山の中でも墓地の中でも自殺の名所でも全然平気。
テント1つで泊まれちゃうんだよね、ワタシ。
前述のように電気・電子を中心とした科学少年でもあった訳で、その意味ではかの某大学○○教授タイプに近いかも?
だって、誰が言い出したか分からない噂や言い伝えや想像の産物を、いったいどうしたら信じられるの?バッカじゃない!!
だから寂しければ寂しいほど誰にも邪魔されないナイスシチュエーション!
仮にσ(^^)が死ぬ時、誰にも看取られず一人静かにとさえ思っている。
亡くなってから一月も発見されず孤独死だって、可愛そうにねー・・・・なんて、そんなの一般人によるその他大勢の当たり前な集団的発想!
σ(^^)はそうは思わない。
死にゆく姿をたとえ家族でも人に見られるなんてまっぴらごめん。
お前はネコか?
っと、世間から見ればまことに変わり者だったはず。
現在は北方四島に興味津々。
返還または民間人の自由往来が許される日、首を長〜くして待ってる今日この頃なのである。
もっとも相手があのロシア、だもんなー。
σ(^^)が生きてる内には無理?
絶対無理だな!
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