妙義今昔写真館
最終更新 2012年 4月 1日
 
明治期より無数の絵葉書に収められてきた妙義山。その各所の今昔をご紹介します。
 
4.黒門より見たる雨中の白雲山/昭和6年 
黒門より見たる雨中の白雲山 黒門より見たる雨中の白雲山/現代写真
妙義神社へ松井田方面からの北参道入口にある、黒門付近から見上げた白雲山です。車道が稜線を避け大きく左に迂回する所で、大正期から現在までこの道の経路は変わっていません。稜線上に位置する黒門は現在でも残っていますが、屋根のない木組みだけの門で後年の立て替えと思われます。ここから延びる「関東ふれあいの道」が妙義湖方面へ延びますがほとんど廃道状態!

現在は両側に民家が建ち並び、中腹中央の白点は拡大写真の大の字です。その下の杉林が妙義神社境内となり、現在の方が山側に広がっているのは植林のためと思われます。
 
3.松井田町端より妙義山遠望/大正期〜昭和初期
松井田町端より妙義山遠望
松井田町端より妙義山遠望/現代写真
下↓の場所より数百m富岡市街地よりに寄った、現在の県道脇付近からの絵葉書です。石置き屋根の民家と天秤棒を担ぐおじさんが田舎の風情を誘います。さすがに現在、付近に石置き屋根の家は見かけませんが、南牧村などにはまだけっこう残っています。

現在の写真では昔に比べ、全体に盛り土されてることがよく分かります。その証拠に民家の向こう側は左下がりの急坂!
 
2.松井田より見たる妙義山/昭和3年
松井田より見たる妙義山
松井田より見たる妙義山/現代写真
この絵葉書は比較的良く目にするもので、大正末期から昭和初期までの期間、多少撮影アングルやトリミングを変更して数種の存在を確認しています。碓氷川河畔からの写真で、手前右側のダムのような盛り土は信越本線の高架です。

現在は川筋も換わり護岸工事され絵葉書と同アングルの撮影はできず、西に100mほど移動した河原より撮っています。また下側は段丘上の高い位置からの俯瞰写真です。新しい道路が横切ったりしていますが、信越本線も左端の坂道も85年を経て基本的に絵葉書と変わりありません。
 
1.天狗臺より妙義富士を望む/大正期〜昭和初期
天狗臺より妙義富士を望む
天狗臺より妙義富士/現代写真
一般にはほとんど知られていませんが、妙義山中某所に天狗臺(台)と天狗堂があります。上の絵葉書は筆者が見た範囲では唯一妙義富士を名入りで収めた珍しいもので、大正期〜昭和初期の物と思われます。

下は現在の天狗台から写した姿です。手入れもされず直径50cm前後の樹木も育ちすっかりヤブ状態。それでも妙義富士の峨々とした姿は昔と変わりありません。
 
新規追加 2011年12月 1日
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