武満 徹 「ノヴェンバー・ステップス」  No.18 991001
〜20世紀後半の最高傑作を聴く〜
最終更新 2006年9月30日
 
さて、現代音楽である。色々音楽は聴いてきた。しかしさすがに私も、この分野にはさほど明るくない。
私の音楽嗜好は再三述べたように、まず一にメロディ(旋律)。ところが多くの現代音楽にはメロディが無い。二つ目にリズム。しかしこれも現代音楽では決まったノリがほとんどなく、乱拍子(三拍子、四拍子等の規則性が無い、あるいは入り乱れてる)やリズムそのものを壊したものも多い。三にハーモニー。ここでやっと現代音楽にも個人的光明は見え始めるのだが・・・・!?
クラシック音楽の世界で、世界中どこに行っても通じるという名の知れた日本人は二人しかいない。指揮者の小澤征爾とこの曲「ノヴェンバー・ステップス」の作曲者、武満徹である。
国内だけの有名アーティスト、特定の国だけで知られた演奏家は星の数程いる。が、残念ながら真に国際的というのはこの二人しかいないのである。外国のクラシック関連人名辞典で、この二人が載っていない書物はあり得ない。そしてこの二人以外に何人の日本人が載っているかは、甚だ怪しいと言わざるを得ないのだ。
ニューヨーク・フィルハーモニックは創立125周年の記念祝賀コンサートに向けて、日本の武満に作曲を依頼した。誕生したのがこの曲「ノヴェンバー・ステップス」である。
曲は日本の伝統楽器「尺八」と「琵琶」を独奏楽器とした一種の二重協奏曲である。武満は従来より日本の伝統音楽(楽器)とオーケストラとの融合音楽を考えていた。この時期、実験的な作品が相前後していくつか発表されている。ニューヨーク・フィルがその様子をどれほど知っていたかは定かでない。しかし、武満にとってはまさに渡りに船だったに違いない。出来上がった曲は単に日本人が作曲した傑作であるばかりか、20世紀後半を代表する希代の名曲となった。
1967年11月9日、ニューヨーク・リンカーン・センター。横山(尺八)・鶴田(琵琶)をソリストに、小澤征爾指揮ニューヨーク・フィルハーモニックにより初演された曲は、空前のセンセーションを巻き起こしたと伝えられている。この日、武満は間違いなく「世界の武満」となった。小澤と共にクラシック音楽界で最も有名な日本人芸術家誕生の瞬間であった。
曲名の「ノヴェンバー・ステップス」は、区切り無く演奏される11の段(段=日本の伝統音楽ではまとまった一つの部分(単位)を示す=ステップス)からなっていると同時に、11月に初演されたからという謂われに基づいたものらしい。
いずれにしろどうも私が苦手とするタイプの曲には違いない。実際には各段ともそれほどはっきりした区分は無いようだが、とにかくオーケストラがまず、うごめくように入ってきて曲が始まる。
やがて尺八が例の「ブッフォー」と入ってきて、琵琶が「バチッ!!、ビョロロ〜ン」。もう、日本人が聴いたって「オオッー・・・・」である。いったいアメリカ人が初演を聴いた時、どんなにか衝撃を受け驚いたことだろう。聴衆が尺八や琵琶を知っていたとは思えない。青天の霹靂であったに違いない。
終了間際、長い両者のカデンツァは必聴もんである。
この曲の独奏楽器がピアノやヴァイオリンだったらどんなに味気なかったか。日本に生まれて良かった、日本にはこんな素晴らしい楽器があったんだと実感させる曲。それが私にとっての「ノヴェンバー・ステップス」である。
余談だが、武満が映画音楽の大家であったことも付け加えておこう。黒澤明監督を例に出すまでもなく、曲を聴けばその意味はうなずけることだろう。
 
推薦盤

尺八: 横山勝也
琵琶: 鶴田錦史
小澤征爾指揮トロント交響楽団  1967年録音  BVCC−9383 RCA

初演直後に録音された歴史的名盤。
最近は同じソリスト&指揮者によるサイトウ・キネン・オーケストラの録音(フィリップス)が誕生しているが、個人的には初演直後のこの盤の方が圧倒的にお奨めである。興奮さめやらぬ覇気を強く感じるのは決して気のせいではないだろう。この曲の演奏には洗練よりも気合の方が必要と思わせる代表盤である。
 
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