負け人の遠吠え  2003

 

独自性の害悪?  2003/9/20
最近、遅ればせながらMP3再生可能なポータブルCDプレーヤーを購入した。
所詮ヘッドホンで聴く程度の音なので使用時はほとんどMP3のみとなろうが、パソコンを利用してCDからCD−Rに焼いておけば長時間再生も可能となるはず。
私のように所有欲の強い人間は自分で所有しているCDしか焼かないから、自己利用だけなので著作権の問題も起きない。
ともかく、1枚のディスクで数十時間もの音楽を連続再生してくれのは大変ありがたい。
数日程度までの外出ならほとんど1枚のCD−Rで間に合うだろう。

まあしかしそんなことはどうでも良い。
ここで一筆書こうかと思ったきっかけはたまたま購入時店頭で見たS社の機器に、デンキ屋出身ユーザーとして少なからず憤慨を覚えたことに始まる。

購入したのはM社のプレーヤーで、外付け乾電池ケースはもちろん内蔵電池としても単三形充電池や乾電池が利用出来る。
余計な荷物を持ちたくない外出先での利用を考えると、このような他の機器と共通化可能な電池を内蔵出来るのは大変ありがたい。
電池を使う機器には使用目的や回路構成によって様々な使用電流域があり、その電流を供給できなくなった時いわゆる「電池が終わった」と認識される訳である。
しかし、大電流を供給できなくなった電池も小電流ならば(電池の種類にもよるが)、まだまだ相当時間使用可能である。
つまり、電流の大小によってはある機器で使用不能となった電池が、他の機器ではまだ立派に役立ったりするのである。
たとえば、最近の超高輝度LEDを使用した懐中電灯の類など、従来のランプに比べ圧倒的に使用電流が少ない。
ポータブルプレーヤー、デジカメなど、比較的大電力の機器で使用不能となった使い古しの電池が、これらではまだまだ役立つ場合がある。
いわゆる使い回しが出来るのである。
このような汎用性に富む設計思想はユーザーである私の心を掴むのに十分だった。
更にACアダプタが接続される外部電源端子もJISで規格化されている標準ジャックとプラグで、こちらも汎用性に富み他社製アダプタでさえ利用可能という懐の深さに感銘さえ覚えた。

対してS社のプレーヤーは軽薄短小・高機能を追求する余り独自規格に走り、グループ内の企業以外に互換性の無い著しく汎用性を欠いた代物のように見える。
内蔵充電バッテリーは独自形状のもので、電池容量が尽きれば充電器を接続して充電するしかない。
外出先で他に持ち合わせが無くバッテリー容量が切れた場合、AC100Vが無ければ充電はおろか乾電池などの利用も出来ない(余計な荷物となるが外付け乾電池ケースの外部接続は出来る)。
おまけにACアダプタが接続される外部電源端子も独自規格のジャック&プラグで、やはりグループ内以外の他社製アダプタは基本的に使用出来ない。
それは、せっかくJIS規格という統一規格がある上での、恣意的な未対応行為のようにも見える。

AVの雄を自他共に認めるS社は他のAV&PC関連機器でも、特に接続や互換性という意味で最近極めて独自色を強めている。
元々昔からそのような傾向の強いメーカーではあったのだが、それは強者の論理をあからさまに振りかざそうとする行為のようにも見える。
あるAV機器でS社製品を購入したユーザーは、関連機器も皆S社にしないと接続や動作が保証されない。
どうやらそのようなしくみを構築したいようだ。
いわゆる「芋づる式」の製品販売戦略とも思える。
仮に、最終的にそれらがデファクトスタンダード(業界標準)となれば、莫大な利益を生むだろうことも容易に想像できる。
しかし、それは同時にいつか味わった危うさをも含んでいるように思えてならない。
最近のオープン価格化への全面移行も含め、明らかに消費者利益よりも企業利益を優先させた行いは、むしろ焦りを覚えた衰退期の哀しささえ漂わせている。

私は以前からある理由でS社を嫌っていたが、企業思想を嫌うことと気に入った製品は別であった。
ここ10数年くらい、私の所有する機器にS社製品が相対的に多くなりつつある。
果たして、今後どこまで独善的思想を受け入れられるであろうか?

っと、毒舌なんぞ吐いては見た。
まあ、もちろん全部がそうだという訳じゃない。
私、S社の株主なもんで。ハハハッ・・・・^^;

 

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