アナログオーディオとデジタルオーディオ  981017  No.16
 
最終更新 2003年9月20日
 
記者 : 「天野さんがオーディオマニアであることは前にもちょっとお聞きしました。秋の夜長、ゆっくり音楽に親しみましょうということで、たとえばCDやレコードについてお聞きしたいと思います。」

天野 : 「ちょっと技術的な話をしちゃうけど、たとえばアナログレコードについて言えば、「刻々と変化する音の強弱や周波数をそのままの物理量として盤上に記録するもの」ってことになるかなあ。だからレコード面をよく見て、記録している針溝が大きく蛇行してるところは音が大きく、細くなっているところは音が小さい。周波数やステレオ録音の関係もあるので実際はもう少し複雑だけど、いずれにしても目で見て音の強弱くらいはおよその見当がつく。感覚として理解しやすいって言ったらいいかな。
ところがデジタル録音の代表格CDとなると見た目はまったくのブラックボックス。ただ七色に輝くプラスチックのきれいな円盤としかわからない。見た目で判断がつかないからこそ、音楽CDとCD−ROMなどを間違えて再生するとえらいことになる。音楽CDをパソコンに入れても問題ないけど、CD−ROMをオーディオプレイヤーで再生しちゃった日にゃーもう、スピーカーがぶっとぶ覚悟が必要。」

記者 : 「ええ、たしか間違っちゃまずいということで、CDの色を変えたりとかありましたもんねえ。」

天野 : 「アナログレコードは元々音の記録だけだったから、そんな間違いは初めから心配しなくてよかった。そしてアナログマニアにとって決定的なことは、プレイヤーから出てくる音の調整が自分の手で出来たこと。ある程度知識さえあれば音質や音色を自分で加工出来たってところが大きい。これは勝手な想像だけど、この部分こそマニアのマニアたる所以で、頑なに生きてる最大の理由だと思うな。つまりターンテーブルの選定や回転ムラ、回転数、アームの選定、カートリッジの選定、針圧のかけ具合などなど。納得いくまで自分の手で自分好みに詰められたってこと。そしてその努力によってはたとえ僅かずつでも、確実に音が変化していることを素人目(耳)にも実感出来た。
対してCDプレイヤーはディスク自身と同じでほとんどブラックボックスに近い。プレイヤーの機種を選定しちゃえばあとはもう機械にお任せで、こちらから手をかけられる余地は出力コードを変えるか重りでも載せるくらいしか残ってない。つまりセットメーカーが良しとした音にこちらの好みを合わせるか、好みの音のするセットを探さなければならない。これはそれまで自分で音を作ってきたマニアにとって屈辱的に感じたかもしれないよな。
アナログが自身の感性と経験によって処理できたとすると、デジタルは技術的に素人が手を出すには専門的すぎた、あるいは馴染みがなかったってことかな。
現在でも特にジャズやクラシックファンにはこの手のマニアが多い。デジタル音はどうのこうのとCDを毛嫌いする人は決して少なくないよね。」

記者 : 「なるほど。ところでそう言う天野さんはどうなんですか?。」

天野 : 「俺はアナログでもデジタルでもその音にはまったく文句ないよ。今でもアナログレコードはもちろん聴いてるけど、レコードのスクラッチノイズさえなければCDとの音の差を感じることはまったくない。オーディオ装置に問題ないなら音楽として聴く音の差なんて、大方の一般人が聴き分けられるほどの大きな差はないと断言していい。逆にソフトが同じならオーディオ装置による音の差の方が遙かに大きいと言ってもいいだろう。
同じ音源のソフトでアナログとデジタルでもし差があったと感じても、それはアナログはこういう風でデジタルはこうなんだという、雑誌や人からの暗示による思いこみが大きい。更にデジタルでは技術的にわかりずらいという固定観念が、精神的に影響している可能性も無視できないね。
ブラインドテストでアナログとデジタルの音の差を聴き分ける人は多いだろう。但しそれらの人たちはまったく無意識にアナログ特有の雑音成分を、脳の中でデジタルとの音の違いとして感じてる可能性が高い。特にヒスノイズなどの暗騒音(雑音)による音の違いは素人でもわかりやすいし、それも一つの重要なエッセンスとして聴いてるんじゃないかと思うな。
ピアノやギターのアコースティックな音が心地よく聞こえるのは、「楽器音の他に含まれる多種多様な雑音成分や倍音成分が大きく影響する」、というのは音響心理学の定説だろ。普通、自然界でまったくの無音状態なんていうのはない。意識してるかどうかは別にしてもあらゆる雑音の中で暮らしていると言っていいだろう。その方が遙かに自然なはず。耳の肥えたマニアにとってアナログの音はその意味で、より自然に心地よく聞こえるということじゃないかな。
エレクトリック・ドラムやキーボードの電子楽器はタイトでクリアーすぎて、何となく音楽的情緒に欠ける感じのすることがある。往年のジャズやクラシックファンなら特にそう感じることだろう。いわゆる「音が硬いとかキンキン耳に響く」というようなデジタルへ不満を漏らす人の意見は、集約すればたぶんそんなところに落ち着くように思うね。だからそういう優秀な耳を持たない俺は、アナログに対してもデジタルに対してもまったくこだわりはなかった。CDを聴き始めたのも別に音がどうのこうのではなく、まず単純にソフトが手に入らなくなったからに他ならない。
生意気なようだけど俺は何も神経質に聞き耳を立てて、一音一句聞き逃すまいと緊張して「音」を聴いてるわけじゃない。スピーカーから流れてくる「音楽」をゆったりと聴いてるの。」

記者 : 「なんか意外でしたねえ。こう言っちゃなんだけどもっとうるさいのかと思ってました。」

天野 : 「ただアナログは個人的に手を加えられるものだっただけに、その奥は異常なほど深いという言い方も出来るよね。
オーディオ的かどうかは別にして、耳を澄ますとレコードに針を降ろしただけで音が聞こえるだろ。つまり電気的に増幅させなくても機械的な音はちゃんと針周りから振動として出てるわけ。ここでたとえば紙コップの底に竹ひごを削った針をつけてトーンアームに載せ、うまくバランスをとって盤上に置けば立派に蓄音機として鳴ってくれる。いわゆる糸電話みたいなものだよな。アナログでは考え方次第でこんな遊びも出来るんだよね。まさにさっき言ったちょっとの知識があればっていう話で、これが素人業のおもしろさ。残念ながらデジタルには思いも寄らないこと。子供に聴かせたらびっくりすると思うよ。」

記者 : 「ではアナログにはまったく文句はない?。」

天野 : 「いや、それでもアナログに対しては一つだけ注文があった。
手動のアナログプレイヤーしか持たない俺にとって、レコードで曲が終了した後の「プツッ・・・プツッ・・・」っていうノイズだけは何とかならないものかとずっと思ってたね。特にクラシックなんかの場合、曲が終了して余韻に浸る一服がほしいじゃん。終了した途端すぐ針を上げに立たなければならないなんて興を殺ぐのも甚だしい。後からオートリフターを付けたけど、レコードによっては終了前にアームが上がっちゃったりして調整が難しいし、やはり針が盤を離れるときの「ブツッ」っていう音は防ぎようがなかった。今更もう遅いけど、なぜレコードメーカーは曲の最後に無音部分を、たとえ30秒でもいいから入れなかったのか当時大きく疑問に思ったね。リスナーのことを考えれば当然とるべき処置だったと思うけどな。曲が終わった途端針がスッーと動いて「ブチッ」なんて雑音の入るレコードは、それだけでレコード会社の見識を疑ったものだ。
もっとも当時からリモコン付きのアンプでミューティング機能があれば、そんなこともなかったかもしれないけど。
逆にCDはその点いいよな。途中で眠っちゃったって全然問題ないもん。安心してドップリ浸れる(聴ける)ということでは、実は俺にとって何よりも代え難いことかもしれない。」

記者 : 「でもなんだかんだ言ってやっぱり、アナログへの思い入れは相当強そうですね。」

天野 : 「もちろんこだわりと思い入れは微妙に違うからね。ただ技術者として生きてきた俺としては感性部分と技術部分は微妙に重なってると思ってるし、CD(広い意味の光ディスク)やHDDの可能性には非常に高い期待を寄せてるよ。
おそらく記録するということにかけては今後もビデオやコンピュータを含め、当分の間主役の座を下りそうにない。特にランダムアクセスや保存性ということを考えればテープの未来は甚だ怪しいが、ディスクタイプがすたれることは考えにくい。DVDなどで現在までに実用化された記録容量は数ギガってところだけど、HDDなどそう遠くない未来におそらくテラ単位まで上がるだろう。そうなるとビデオ映像で実に500時間もの記録が出来る。テレビレベルの静止画にして5400万枚記録が可能ってこと。その容量の大きさといったら現在考え得ることはほとんど何でも出来ちゃう。そりゃー期待しちゃいますよ。
これもやはり近い将来、MDより更に小さな500円玉に気を持った程度のディスクで、数時間の録画が可能なビデオカメラや録音機(追記参照)が出るんじゃないかな。メカ的にもテープよりずっとシンプルになるから、値段も普及が始まればビデオで十万円は切るだろう。」

記者 : 「うーん、そう言われると確かにすごい。」

天野 : 「いやー、人によっては嫌な世の中だって言うかもよ。」

記者 : 「・・・・・僕もその一人かな?。」
 
2003年9月20日追記
2003年秋現在、1インチ超小型HDD(1.5GB)利用のプレーヤー等が発売され始めたようだ。
詳細はこちら
 
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